猫だまし

「大相撲九州場所10日目に、横綱・白鵬が関脇栃煌山に2度の猫だましを繰り出した。」(http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1567777.htmlから)

私が“猫だまし”を知ったのは、映画「シコふんじゃった」(周防正行監督、1992年公開)に出てきたから。恥ずかしながら、記事にある「小兵が活路を見出すための“奇襲”」とは知らなかった。確かに、映画でも宝井誠明さん演じる春雄くんは、相撲初心者であり、やせていた。現NHK大相撲解説者の舞の海氏が現役時代、何度か見せたことは知っているが、それでも、“小兵の奇襲”とは知らなかった。

なぜこの出来事が気になったか。

横綱・白鵬のファンでも、批判する者でもないが、この出来事を横綱・白鵬のチャレンジとみたためかと。理解力のある方と勝手に思いこんでいるせいか、思いつきでの行動とは思えない。横綱・白鵬のコメントは「勝ちにつながったから、うまくいったことにしましょう。お客さんの反応?(両手を叩いて)コレのこと、知らないんじゃないの。帰ってビデオを見たら分かる。『こういう“技”もあるんだ』って。一度やってみたかった? まあね。楽しんでます」とのこと。エンターテインメントとしての大相撲を魅せたかったのか、本九州場所は調子が悪く“勝ち”にいったのか、力士というよりはアスリートとして彼のなかで変化を求めているのか、日本相撲協会に対しての批判の表れか。

先日亡くなられた北の湖理事長は、「(猫だましを)やるってのは、なかなかありえない。やられる方もやられる方だけど、やる方もやる方。横綱としてやるべきことじゃない。横綱がやるのは前代未聞なんじゃないの?」とあきれ気味。観客もあっけにとられた一番で「拍手がないじゃない。お客さんはどう見ているか分からないけれど…」というコメントを残されており、スポーツ新聞中心としたメディアも批判ととれる記事が多い。

故北の湖理事長のコメントにあるとおり、「横綱としてやるべきことじゃない」ことは横綱白鵬も十分承知していたはずだし、メディアからの批判もわかっていたはずなのに、行動した。元横綱・朝青龍は、「本当にだらしない」「悲しい!涙が出るくらい悲しい今の日本人力士」と、白鵬を擁護するとともに、奇手に簡単に引っかかった栃煌山を批判したようだ。(http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/18/asashoryu_n_8595918.htmlから)

横綱・白鵬は、日本人力士に限らず、力士たちに勝つことへのこだわり、大切さを教えたかったとも考えられる。コメントにも「勝ちにつながったから、うまくいったことにしましょう」とある。

相撲は神道にもとづいた神事であり、場所によっては今でも「祭り」「奉納」の行事として続いている。神道についての詳しい知識はないが、大学の時にお世話になったイギリス人の先生が近くにある神社の神主さんに(先生は)氏子といわれ、「僕はキリスト教徒です」と答えたところ「この土地に住む方はみな氏子です」といわれことを思い出す。神道では、人種、宗教を問わず、神社が守るべき土地に住まれている人たちはみな氏子らしい。氏子のみならず、現在では外国人の神主さん、巫女さんもいるようだ。その数は100人超えているとのこと。大相撲も外国人力士が多くいるので、考えは同じのようだ。

ただし横綱には日本人的な“品”が求められているようで、横綱・白鵬はそれに欠いているという意見がある。横綱はただ強いだけではだめだし、勝てばよいというわけでもない。

今回の出来事をちょっとおおげさに考えたい私としては、横綱・白鵬はスポーツとしての相撲を追求しているようにみえる。元横綱・朝青龍は格闘技としての追求にみえたが、それとは少し違う。スポーツでは、勝つために日々の鍛錬がある。勝ちにこだわって、なぜ悪いのか?過去の横綱・白鵬の言動や行動に対する記事を読むと、そのように問うているようにみえるものもある。

Yahoo!が意識調査で、「横綱の「猫だまし」どう思う?」が現在実施されており、「問題ない」が「問題ある」を若干上回っているが、少し前までは反対だったところをみると、結果は賛否両論なのであろう。

大相撲は神事なのか?スポーツなのか?私はスポーツであると思っており、日本人にこだわらず、海外からの力士ももっと増えればよいと思っている。そのための対応や変化も必要であると考える。横綱・白鵬一人の力で山は動かない気もするが、現力士たちが今よりももっと勝つことへのこだわりをもちはじめたら、変わっていくのではないかという希望はある。横綱に限らず、日本人的な”品”は問題視されそうだが。

大相撲を含む日本固有のものが、日本の、または日本人の美意識を保つべきか否かについては、また後日、他のこともからめて書きたいと思う。

日本の傘の9割はビニール傘

梅雨とは梅の実がなる頃の季節の雨だから梅雨という。その言葉通り、梅の実がなっており、スーパーなどでは青梅が売られている。友人は梅干し、梅酒をつけ、日本文化とはよいものだと感じさせられる季節でもある。

本来日本の梅雨といえば、弱い雨が1日中降り続く様子。しかしながら、最近では辺りが急に暗くなり、豪雨となることもしばしある。紫陽花の色や蓮の葉にたまるしずくをみて、梅雨をよいものだと思わせるような雨の日は少なくなってきているような。

温暖化の影響による異常気象という考えもあるらしいが、急激な気候の変化をズバリ答えている予報士、学者はいない。歴史的に、日本での気候変動は何回かあったようで、太陽の黒点の数と関係しているのでは?といわれているが、はっきりとしたことはわかっていない。

日本人は雨に濡れるのがあまり好きではない。海外では傘もささずに歩いている人を多くみかけることがあるが、日本ではそのような人を見かけることはない。そのためコンビニ、駅の売店などでは、簡易的な雨しのぎグッズとしてビニール傘、かっぱなどが売られている。かっぱを買う人はそういないと思うが、コンビニの店員に聞くとビニール傘は本当よく売れるそうだ。

MOTTAINAI 傘プロジェクト(http://mottainai-3r.jp/kasa/)によると、日本の傘の消費量は年間1億3000万本らしく、その9割がビニール傘とのこと。日本の人口は約1億2800万人なので、年間1人1本またはそれ以上消費している計算になる。

企業のオフィスの傘立てには結構な数のビニール傘があり、告白すると我が家にも数本ビニール傘がある。ちなみにビニール傘は500円で、最近の若者たちによると高い(実際に若者が口にするのを聞いた)らしいが、手軽に買えてしまう金額ではある。

ビニール傘は55cm~70cmと幅に対応しており、最近では女性用にカラフルで、絵柄がついたものも売られている。ビニール傘以外では、Waterfront(http://www.water-front.co.jp/)というブランドを、ビニール傘同様コンビニや駅の売店でよく見かける。値段は1000円と倍だが、色やかたちを選べ、また折りたたみ傘もある。私もユーザーの一人である。

マイ傘をもたない一番の理由は置き忘れ。通勤電車で忘れることが多かろうと思い、検索したところ、電車内での置き忘れで一番多いのは衣類で、傘は2番目だとか(http://news.mynavi.jp/c_career/level1/yoko/2012/11/jr.html)。傘は気が付いたらなかったということが多いらしく、行方不明になりやすい物のようだ。

置き忘れの他には、突然の雨で、つい買ってしまうこと。日本人は本当に雨に濡れるのが好きでないらしい。

さて最近の梅雨は豪雨という話。ビニール傘は雨風が強いと壊れることがあり、嵐が去った後の路上には折れたビニール傘をよく見かける。年間消費量9割のビニール傘がそのままでいるわけがないと思い、いくつかのコンビニをまわってみたところ、バージョンアップを発見。骨を増やすことで強度を高めたビニール傘があるではないか。ビニールも若干厚くなっている気がした(気のせいかも)。しかも値段は同じ500円。ビニール傘の誕生は1958年らしく(誕生当時は高級品だが)、雨に濡れるのが嫌いな日本人を支えて続けて55年。気候の変化にも対応する順応性、大変恐れ入りました。

 

※過去にテレビでビニール傘に関する番組をやっていたらしい。ご参考までに(http://www.tbs.co.jp/gacchiri/archives/20080629/1.html)

同じブランドのバッグを使用していても

買い物をしているときの出来事。よくいく衣料品店に足を運んだところ、中国人と思われる観光客の団体さんたちに出会った。尖閣諸島問題勃発以降、中国からの観光客が激減しているといわれているが、その気配はお店になかった。

元気よく、お店の商品を一つ一つ見て、あれもこれも状態で次々と商品を購入していた。私も彼女らに興味があったが、彼女らも現地人の私に興味をもっていたようで、私がみている服だの小物と同じものをとっては、チョイスの一つに入れてくれた。入れてくれないものももちろんあった。

結構長い時間、彼女らと同じ空間にいたので、「このブランドが好きなのか?」と一人に聞いたところ、中国語しか話せず、会話に失敗。後で、お店の人が教えてくれた情報によると、中国では同ブランドの値段が3倍近くするらしく、日本にきては大量に商品を購入されるお客様が多いとのこと。また彼女らの多くは新しいものが大好きで、最新のものを購入する傾向があるよう。それも同じものを2から3つ購入するという。家族や友人にプレゼントするらしい。

私がバッグをみていたとき、奥のほうにいた中国人が大きな声で(たぶん)「それ流行っているよ」と教えてくれた。お店の人いわく、亀の甲羅、もしくは龍・蛇のうろこに見え、縁起がよいと思われているとのこと。何年も同ブランドのバッグを使用しているが、その考えは私には全くなかった。

お店の人に、買うなら、銀色がよいといわれた。「金ではないの?」と聞くと、「今、中国の若い人たちの間では銀が流行っている」と教えてくれた。その後で、「すみません、お客様は日本人ですよね」と苦笑された。金と聞いた私も同じく苦笑した。

観光客の団体は先に店を去った。どうやら、同じブランドの次の店舗へいくらしい。繰り返すようだが、2から3つ買うためのようだ。

同じブランドを10年以上買っているが、このような体験は一度もなかった。愛される理由は違うけど、同じブランドに共感しあうという不思議。意図せず生まれてくるブランドの新しい意味は、ストーリーづくりに欠かせない要素であることに気付かされた。

一番興味深かったのは、中国人観光客のパワーで、お店の空間が少しの間でも中国になってしまったところ。日本人客は私だけだったので、“量”に引っ張られたと思うべきか。

子供たちの会話から

電車を利用するとき、一つ楽しみにしていることが私にはある。悪趣味かもしれないが、子供、若い子たち同士の会話。彼ら/彼女らがどんなことを思っているのか、何が流行り、話題となっているのかを知るよい機会である。
今日は、中央線のある駅のホームで、電車通学をする小学生(男子)たちに遭遇した。お揃いの制服とランドセル。見た目はかわいいが、話のネタはスマホ。小学生でスマホを持っている子はほとんどいない(と思う)。ただ非常に気になる存在らしく、自分たちの父親がどのスマホを使っているかの‘ヒアリング調査’がはじまった。

「お前んち何使っているの?」
「たぶんSoftbankだからiPhone」
「SoftbankはiPhone以外にもスマホ出してるぜ」
「2年前から使っているよ。シリーズ的なものが揃ったのって最近でしょ?」
「まあな」
「(別の子に)で、お前んちは?」
「DoCoMoかな。」
「なんか事故あったところ?」
「よくわからないけど、2つ折りの携帯じゃないよ。画面も大きいし」
「それスマホじゃないんじゃないの?なんてったけ、スマホよりも大きいやつ」
「そこまで大きくないよ」

小学生でも高学年だとは思うが、会話の内容にびっくり。使ってもいないのによく知っているなあと。上記の会話の後は、先生たちが何のスマホを使っているかがはじまったが、使っている姿をあまり目撃したことはないらしく、想像で「○○先生は、DoCoMoっぽいよね」などの話で盛り上がっていた。

彼らからの会話で興味深かった点は、スマホを展開しているキャリアのブランド名がSoftbankとDoCoMoしか出てこなかったこと。また製品名については、iPhone以外出てこなかった。ただしiPhoneがAppleということはわかっていないらしい。Softbankが製造販売している印象があるようだ。“Softbankがつくっている”という言い方をしていた。

2008年という具体的な年は出てこなかったにしても、“2年前から”にはちょっと驚いた。
また先月のDoCoMoのメールアドレスを誤設定する不具合について“事故”として認識していたこともびっくり。

恐るべし最近の小学生。でも会話の合間に、(親に)帰るコールをしている姿は、本当、かわいらしかった。

新興国市場とのお仕事について

私の仕事は、新興国市場と呼ばれる国々における定性的な調査や、情報収集が主である。今から書こうとしていることは、もう少し経験を積んでからにしようかと思っていたのだが、第一弾として書くのもよいのかなと思うことにした。
情報収集や調査依頼がよくある国は、順番に、中国、インド、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、ブラジル、サウジアラビア、南アフリカ、トルコ、ロシア、メキシコ。稀にある国を含むと、30カ国程度の依頼を受けている。
定量調査の依頼もたまにあるが、一番依頼が多いのは、ブランドオーディットと呼ばれるお仕事で、ある特定のブランドが各国でどのように展開されているのかをレポートにするものである。コミュニケーション(広告など)やマーケティング、またそのブランドを所有する企業動向などが含まれる。

フォーマット化を試みたのだが、クライアントさんによって知りたい内容があまりにも異なるため、要望のある内容に応じた情報収集なり調査というかたちをとっている。ウェブサイトには費用を記載しているが、日本などと同様、内容に応じて金額が変わってくるため、事前交渉で決定される。事前交渉には、各国への確認も含まれる。

1年半前から事業をはじめているが、各国への費用が1割から2割くらい上昇傾向にある。理由を聞くと、ブラジルを含む南米の国々からは、物価が上がっているとレターサイズの用紙1枚にびっしり書かれたものが送られてきた。また深夜または早朝からコンタクトを受けることもある。特にブラジルは、欧米なみの金額を要求されることがあり、日本人の感覚からすると非常に高い。その他の国についても、同様な答えが返ってくる。
彼らの理由も正しいと思うのだが、話をよく聞いてみると各提携先の会社は、その国でうまくいっているケースが多く、ビルを建てたり、もしくは高めなオフィスビルに移転したり、また人材を増やしている傾向がある。費用が上がるのも無理はない。全ての国や会社でそういったことがあるわけではなく、誠実に接してくれるところもある。費用感が変わらないほうが、リピート依頼には助かるのだが、残念ながらそういったところは少ない。

どの国も納品日については、守る傾向がある。難しい場合は事前に連絡してくる。稀に依頼のある国では、自身の都合で納品日時を調整することもあるが、それは“その国の時間”で行っているらしい。それでもまる1日くらいの遅れだ。
ただし、レポートの質はどうか?という話については、正直ベースで、平均で7割程度の出来である。これについては、担当した人も影響しているため、国単位で語るのは難しい。特に中国やインドは、都市によっての違いも出てくる。
こちらで事前にインターネットで情報を収集し、その内容を踏まえた上で、依頼をかけるやり方をとっている。事業を始めたころはそれを欠いており、到着したもののプルーフチェックのみを行っていた。プルーフチェックを行うことを想定していなかったのか、調べることが不得意なのかはわからないが、異なる情報が書かれていたり、またレポートの量を増やすため年数が古い情報を入れられることが多かった。あとは要望に応えることができないという連絡ができず、まったく違う情報で作られたりしていることもあった。当時は、平均で3割程度の出来で、期日は守られたが、内容はやり直しということがほとんどであった。各国の状況についてよく把握されているクライアントさんには笑い話となるが、初めての方は理解に苦しまれた。
現在は事前確認を行っているため作業フローも改善されているが、各国から送られてくるものの質が上がったかというと、それでもさきほどのとおり、7割である。もちろん7割のまま提出しているわけはなく、こちらで再度調べ直して、現地に確認をとる作業が何度か繰り返され、レポートの提出となる。

日本人はよく謝るということでバカにされることがあるが、間違いだらけのレポートを送りつけて謝罪してきたのは、30カ国のうち2カ国だけ。ただし謝罪はなくても、多くの国はやり直してくれる。反省しているのかな?と思いたくなる。謝罪のかわりに“逆切れ”交渉などもあり、費用が足らないなど(仕事を依頼した)会社のボスが直接電話してくることもある。なので、試しに追加費用を払ってお願いしたところ、内容は笑えるくらい同じ。まあこのようなものなのだと、思うしかなかった。

今まで書いてきたことは批判的に聞こえるかもしれないが、決して批判ではない。愚痴は若干あるかも。ストレスには強いと思っていたのだが、胃潰瘍が3つも出来ていた。
まだ時間は浅いが、様々なやり方を試して、最終的にもう少し短い時間で、良いレポートが書けるようになればと思っている。
事業を通して、新たな関係も構築でき、また各国の担当の目を通して、その国の状況を把握できていることは大きい。また各国の担当もこちらから学んでいることも多いようで、こちらで使っているある手法を用い、自身のビジネスにしてしまった国もある。そのおかげか、その国のレポートの質はだいぶ上がり、ビジネスもやりやすくなった。
また半年後くらいに、各国または各市場におけるブランドに対する考え方なども踏まえて、書きたいと思う。

金について

金(地金)の価格が高騰しているのをうけ、金の売買が盛んだ。先物取引としての金の話だけではなく、日本の場合は金庫・家に眠っている地金やコイン、その他に金のアクセサリーを売ったり、買ったり。いつが売りか、いつが買いかなどは、売買の仲介などを行っている業者の独自の判断となっている。個人の売りが先行しているのは日本に限った話のようで、他の国々では価格がもっと上がる前に金を購入したい人のほうが多いようである。
世界各国にいる富裕層は、最近の通貨価値が流動的であることを受け、今後も価格が上がることが予想される金を購入するケースが増えているという。金は彼らにとって「安全資産」と認識されている。

さて金の価格、どれくらい上がっているのだろうか?過去5年間でみると、価格は約2倍。ざっとした計算であるが、2006年には円ベースで2300円/gであり、2011年現在は4600円/g。ただし価格変動は激しいため、2008年8月に1.5倍上がっているものの、同じ月に急落している。うなぎ上りではない。
ただし、最近は買い手が急増しているため、価格は高騰しており、先週NY市場で初めて1オンス(28.35g)=1900米ドルを突破している。
シティグループは、金価格予測を2012年は1オンス=1650米ドル、2013年は1500米ドルに引き上げた。従来予測では、2012年は1325米ドル、2013年は1225米ドルであった。

金の産出国で有名なのは、南アフリカ、アメリカ、オーストラリア、中国。ただし、産出量を増やしているのは中国のみ。2010年に、南アフリカを抜いて、中国は世界最大の産出国となっている。他には、インドネシアやペルーなどが上がってきており、また北朝鮮も注目されている。北朝鮮は、金以外にも大量の鉱物が埋蔵されていると言われている。

ただし、金はあと20年くらいで枯渇するといわれている鉱物。金の埋蔵量は5~6万トン。残っている金は、50m水泳用プール1つ分くらいとのこと。これから埋蔵されるものも含めると世界にはプール4つ分くらいしかないそうだ。

ご存知の通り、金は多くの製品に使用されている。日本の話だが、独立行政法人物質・材料研究機構のレポートによると、金、銀、鉛、錫の累積使用量は2020年の時点で現有埋蔵量を超えることが予想されている。※レポートのなかでは、上記以外の鉱物資源などについても累積使用量が現有埋蔵量と同じまたは超えることが予想されている。
そのため日本では”都市鉱山”が注目されている。古い電化製品などを回収することによって、鉱物資源をリサイクルするといったもの。“都市鉱山”に眠る鉱物資源量は、金、銀、鉛、インジウムは世界最大の資源国、銅、白金、タンタルについては世界第3位までに入る資源国にランクされるほどとなるようだ。
ただし現状では、携帯電話をとっても3分の1も回収できていないようで、課題は多い。また海外の国々が日本の“都市鉱山”に目をつけたようで、古い電化製品を回収し、国外へ持ち出しているとのこと。その昔“黄金の国―ジパング”とマルコ・ポーロに伝えられた国が、かたちを変えて“再・黄金の国”として話題となっている。近い将来、日本政府が古い電化製品の回収を義務化することもささやかれている。

米国では、砂金探しがブームとなるほどのミニ・ゴールドラッシュだとか。レジャー的な要素が強いようだが、それほど、金は今、世界を魅了している。
たった今、タイミングよく「金を売りませんか?」という電話があった。日本では、貴金属の悪徳買取業者が増え、問題となっている。田中貴金属にはRe:Tanakaというリサイクル事業があり、ホームページには買取価格が記載されている。日によって価格は変動するため、売られる前に、ご自身で必ずチェックされることをおすすめする。

夢の飛行機―B787について

7月5日に、ボーイング社の787(以下B787)が、テスト飛行のため羽田に着陸した。
B787は、2004年の全日空の受注を機に、開発がスタートしたといわれている。当初の計画では、2008年の北京オリンピックに合わせての就航であったが、部品の供給の遅れや、電気系統でのトラブルなどにより、遅延が生じてしまったとのこと。またボーイング社にとって、機体の一部や、部品などを世界中に分散して発注するのは初の試みであったために遅れが出たともいわれている。
B787が日本のメディアに大きく取り上げられた理由は、機体の35%が、開発に参加した数十社の日本企業によるものであり、メイド・ウィズ・ジャパンとボーイング社が表現したこと。日本の技術なくして、B787は生まれなかったともいわれている。
特に東レの炭素繊維を特殊な樹脂で固めた複合材は、これまで機体で使用されていたアルミ合金に比べ、強度を2.5倍、重さを半分という画期的な素材である。

B787は中型機。機体を軽くしたこと、またエンジンの改良などで、燃費が既存のものと比べ20パーセントも向上した。一回の給油で飛びつつづけることのできる距離が30パーセント伸びたといわれる。
長距離には、主にジャンボジェットで知られているB747などが使用されている。最近では、エアバス社の“空飛ぶホテル”で知られているA380もある。直行便は、ジャンボジェットの席が埋まるくらいの需要がある都市にしか飛んでいないのが現状。しかしB787の登場によって、それが大きく変わってくる可能性が出てきた。

過去のブログで、LCC(ローコストキャリア)、格安航空会社について書いているが、彼らの得意距離は、短距離(たまに中距離)である。距離が短いため、一種類の旅客機を使って頻繁に輸送することで、コストダウンを図っている。
メガキャリアは、アライアンス(航空会社によるグループ)を利用し、乗り継ぎでLCCに対応している。例:東京から直行便のないカンボジアの首都、プノンペン。東京からバンコクまで全日空に乗り、バンコクからプノンペンまで、タイ航空でいく。東京でプノンペンまでの搭乗手続きができ、またその逆も可能。全日空とタイ航空は同じStarallianceに属している。
B787が登場すれば、例のようなプノンペンまでの直行便が可能となるだけでなく、長距離の中規模な都市までの直行便も可能となる。全日空は、B787を成田からボストンまで運航させることを発表している。今後、直行便のなかった欧州の都市への運航も増えることが予想されている。
B787は、資金力のあるLCCにとっては、長距離運航を。メガキャリアにとっては、大都市だけでなく、中規模都市への運航を実現することができる。競争の激化は避けられず、またアライアンスの役割も変わってくるといわれている。

B787の愛称は、Dreamliner(ドリームライナー)。日本ではメイド・ウィズ・ジャパンが注目されがちだが、Dreamlinerは様々な国と企業が参加し、世界の最高・最新技術が結集によって創られている。まさに夢の飛行機である。

テルマエ・ロマエを読んで

海外で、自分の国の文化に近いものを発見すると、嬉しくなることがある。日本の場合、多くのものが、海を越えてやってきていることもあり、特にアジアの国々でルーツ(的なもの)を見つけることができる。もちろんこれはアジアに限った話ではなく、(北アフリカを除いた)中近東や地中海に近いヨーロッパの国々でも見られる。
例えば、麺。そのルーツは、中国の湯餅(タンピン)といわれている。湯餅は、すいとん、ワンタンなど、その形状については、様々な説がある。ただ(長い)麺がいつどこで生まれたものなのかについては、よくわかっていないようだ。
ご存知のとおり小麦の栽培がはじまったのはメソポタミア。シルクロードを通って、その栽培と粉にする方法が中国に伝わったといわれている。中国で生まれた麺の原形もまたシルクロードを通って、西へ戻されたのであろう。マルコ・ポーロが中国から麺を持ち帰り、イタリアでパスタが誕生した説もあるが、それよりも前に麺のようなものがあったようだ。調理などの歴史について詳しくはないが、東(例えば中国)は気候や水などの影響で、スープなどの温かいものをよく食していたのではないのだろうか。煮る、茹でるなどが多かったのではと思う。それに対して西(地中海に近い地域)は、焼くことが多かったのだろう。(歴史的に)小麦粉の使われ方の違いが出てくるのがどの辺りからなのかを調べていくのもおもしろそうだ。

さて、本題。つい最近、(やっと)テルマエ・ロマエを読んだ。ヤマザキマリ氏の漫画である。簡単に内容を話すと古代ローマの風呂設計士が、今の日本にタイムスリップ(またはタイムトラベル)し、日本にある様々な温泉・風呂を中心とした衣食住に関する文化に触れ、圧倒される。主人公は、タイムスリップしていることに気付くわけもなく、同時代の古代ローマ支配下にある“平たい顔”をした国へ、なぜかきてしまっているとしか思っていない。タイムスリップでの経験を、古代ローマで活かすといった内容。まだ読まれていない方は、ぜひ読んでいただきたい。

タイムトラベルやパラレルワールドの可能性について、夢物語としか思っていない私だが、歴史のなかには、なぜ‘あるのか’突きつめることができないものがあることも知っている。様々な文化の影響と長い時間によって、かたちづくられたとする説は多い。非現実的な話をひっぱるつもりはないが、“昔”から“今”という流れだけではなく、“今”から“昔”への流れが(何らかの方法で)あったとしたら、プラトン的なミメーシス(模倣)について、よく考えなくてはならないなと思った。

テルマエ・ロマエの主人公は、五賢帝の一人、ハドリアヌス帝の時代を生きている。テルマエとはラテン語で浴場という意味。塩野七生氏の「賢帝の世紀」(ローマ人の物語IX)によると、民主的であることを示したいことから皇帝も公衆浴場で市民とともに入浴を楽しんでいたようだ。中でもハドリアヌス帝は、テルマエへ通う回数が最も多かったとのこと。古代ローマ人にとって、テルマエは、生活に必要な場所であったようだ。利用については貧富の差はなく(ただし設備や使える器具やモノなどには違いあった)、日本でいうところのスーパー銭湯的な施設で、飲食、運動、読書、議論、商売などが可能であった。一説には、エステ的なものもあったのではとか。ハドリアヌス帝の時代で有名なテルマエは、「トライアヌスの浴場」であったかと。その名の通り、前皇帝、トライアヌス帝の命により建設されたものだ。「ローマ人は“仕事”(negotium)と“余暇”(otium)とに二分割するライフスタイルを守っていた」(塩野七生氏の「賢帝の世紀」)ようで、テルマエは“余暇”のための場所であった。

温泉宿はあるが、銭湯は減ってしまった日本。規模の大きいスパ施設はあるが、気軽に利用できるお風呂屋さんは少なくなってしまった。

炊飯器について

つい最近、新しい炊飯器を購入した。古いものが壊れたわけではなかったが、10年以上も使用していたので、リニューアル。その際に知った世の中の炊飯器事情。びっくり。パンやケーキが焼けたり、シチューがつくれたり、炊飯器さえあれば、主食も、おかずもつくれる時代になっていた。
話は少しそれるが、幼少期に、友達の家へ泊まりにいった時の話。朝、友達の母はよくピザトーストをつくってくれた。欧米の方にとっては、昼食かもしれないが、朝ごはんをしっかり食べるアジア人にとっては、タンパク質+炭水化物+脂質のバランスがよく、朝ごはんに最適だと、友達の母にいわれた。そのピザトーストは、炊飯器でつくられていた。裏にはしっかりとこげめがつき、チーズはとろりで、とてもおいしかった。米を炊くシーンしか見たことがなかった私は、炊飯器の他利用に驚いたことを覚えている。

さて炊飯器の話。炊飯器はどこのメーカーがはじめてつくったものなのか気になった。調べたら、東芝らしい。ちなみに我が家の炊飯器も先代も含めて、東芝。
炊飯器が登場したのは、昭和30年(1955年)。日本で多くの家庭用電化製品が登場しはじめたのが、この年くらいから。ちょうど戦後10年だ。米不足の時代が終わったとされるのもこの年。米の生産高は(当時)史上最高の1,239万トンであった。(2010年の米の生産高は、785万トンである。)
昭和・平成家庭史年表(家庭総合研究会)には、「寝ている間にご飯たけるという、主婦にとっては夢のような自動炊飯器」(抜粋)について書かれてある。その当時では、電気釜と呼ばれていた。海外の方はご存知ないかもしれないが、電気釜が登場するまでの日本は、釜や土鍋を使ってお米を炊いていた。
電気釜の考案者は、当時東芝の家庭電気課に所属していた山田正吾氏。製作したのは、6合炊きのタイムスイッチ付き。望む時間に米が炊きあがるというもの。当時の値段は3,200円。昭和29年(1954年)から昭和31年(1956年)くらいまでの平均月収は2.8万円から3万円だったので、高級品である。
昭和・平成家庭史年表(家庭総合研究会)によると、当時の東芝社内からは、「寝ている間に飯を炊こうなんて、そんなだらしない女のことをわが社が考える必要があるのか」という声が上がったそうだ。そのため500台のみが販売された。ところが、製品は当時の主婦のニーズに応えたものであったらしく、大当たり。翌年には、月産10万台に達し、約10 年後の昭和39年1月(1964年)の時点で、国の約50%の家庭がもつ、大ヒット商品となった。(昭和39年の平均月収は約6万円である。)
東芝科学館のサイトに歴史コーナー:なつかしの電化製品というコンテンツがある。そちらで、当時の電気釜の画像や、広告などが確認できる。http://kagakukan.toshiba.co.jp/manabu/history/kaden_j.html

先にも触れたように、現在の炊飯器は、米を炊くだけではない。ほとんどの炊飯器が、パンやケーキ、温泉卵などができる機能が備えられている。一般名称を変更するべきではと思うほど、多機能釜である。玄米や分つき米は昔からあるが、今あるのは発芽玄米や無洗米などにも対応している。炊き方にも種類があり、本当に機能満載。またメーカーによっては、エコ・省エネ対応のものも出ている。

売れ筋は以下の通り。

日立 蒸気カット 極上炊き 圧力&スチームRZ-KV100K
http://kadenfan.hitachi.co.jp/kitchen/lineup/rzkv/index.html

象印 極め炊きNP-NB10-XJ
http://www.zojirushi.co.jp/syohin/ricecooker/NPNB.html

三洋電機 おどり炊きECJ-XW100(W)
http://products.jp.sanyo.com/products/ecj/ECJ-XW100_W/index.html

東芝RC-10VSD(N)
http://www.toshiba.co.jp/living/rice_cookers/rc_10vsd/

タイガー 炊きたてJKJ-G100-T
http://www.tiger.jp/products/ricecooker/jkj_g.html

ネーミング通り(東芝以外)、各製品ページへいくと、炊き方とその技術をアピールしているものが多い。釜や土鍋で炊いたご飯に近づくための企業努力が伝わる。家電量販店へいけばメーカー希望価格よりも安く購入できるが、機能や対応量によっては高額のものもある。

人々の暮らしの変化や、主婦のニーズに応えようとする日本企業の姿勢は、今も昔も変わらないようだ。おいしいご飯の追求と、10年、20年、30年後の炊飯器の進化が楽しみである。